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関東自動車 (栃木県) : ミニ英和和英辞書
関東自動車 (栃木県)[かんとうじどうしゃ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [せき, ぜき]
 (suf) honorific added to names of makuuchi and juryo division sumo wrestlers
関東 : [かんとう]
 (n) Kantou (eastern half of Japan, including Tokyo)
: [ひがし]
 【名詞】 1. east 
自動 : [じどう]
  1. (adj-na,n) automatic 2. self-motion 
自動車 : [じどうしゃ]
 【名詞】 1. automobile 
: [どう]
 【名詞】 1. motion 2. change 3. confusion 
: [くるま]
 【名詞】 1. car 2. vehicle 3. wheel 
栃木 : [とちのき, とちぎ]
 (n) Japanese horse chestnut
栃木県 : [とちぎけん]
 (n) Tochigi prefecture (Kantou area)
: [き]
 【名詞】 1. tree 2. wood 3. timber 
: [けん]
 【名詞】 1. prefecture 

関東自動車 (栃木県) : ウィキペディア日本語版
関東自動車 (栃木県)[かんとうじどうしゃ]

関東自動車株式会社(かんとうじどうしゃ、)は、栃木県宇都宮市を中心に路線バス貸切バス事業等を運営するバス専業事業者(バス専業の会社)である。
地元では「関東バス」と呼ばれ商標登録もされており、車両や営業上の表記にも頻繁に用いられている〔Bus Japan ハンドブックシリーズ 67 関東自動車(星雲社発行、2009年)〕。ただし、東京都に所在する「関東バス株式会社」は全くの別会社であり、一切関係が無い。
== 概要 ==

当社は、栃木県内の一般路線バスにおいて約70%の市場占有率(輸送人員ベース)を有するとともに、貸切バス保有台数も栃木県内最多のバス事業者である。一般乗合バス事業(一般路線バス・高速長距離バス)・貸切バスのほか、総合サービス部(旧・株式会社関東バス総合サービス)が市町村営バスや私立高校のスクールバス運行などを請け負い、また関連会社に観光事業者(旅行代理店)や自動車整備事業者などがある。
路線延長約1,700㎞の乗合バス路線を保有し、バス保有台数は500台を超える。事業所は、営業所として宇都宮・駒生(こまにゅう)・簗瀬・鹿沼・石橋・県南・佐野・粟野、出張所として佐野営業所下の栃木が所在する。このうち、粟野営業所は総合サービス部に属する。この他、車庫と呼称する格納施設が駒生営業所下の細谷・柳田・今里、簗瀬営業所下の今市・船生(ふにゅう)・下小林・山王団地、鹿沼営業所下の古峰原(こぶがはら)、石橋営業所下の真岡・東汗(ひがしふざかし)・神鳥谷(ひととのや・県南営業所に併設)、粟野営業所下の口粟野の各地に点在する。〔。
関東自動車は、1923年大正12年)に小平重吉戸田正次戸田保美および小松沢繁助の4氏により合資会社関東自動車商会として設立され、翌年8月に栃木-太平山間および栃木-壬生間の2路線で運行を開始、その後も栃木、鹿沼および粟野で新路線を開業していった。
当時、県内各地には多数の同業者が乱立し熾烈な路線競合が起きていたため、関東自動車商会が沿線の有力者を取り込んでより強力な基盤を築くべく、1927年昭和2年)に設立したのが現在の関東自動車株式会社である。この当時は路線基盤が栃木町にあり、本社も栃木町に置かれていた。
県都・宇都宮での路線営業は、当社設立とともに買収した丸宇自動車が保有する路線の栃木-壬生線を路線延長した栃木-宇都宮線が第一号で、その後1931年に宇都宮の城山自動車を買収して宇都宮営業所を新設、宇都宮と日光や大谷、鹿沼、文挟を結ぶ路線を開設し、路線基盤を固めると同時に省線東北本線宇都宮駅前に車庫を併設したバスステーションを開業させ、本社を栃木町から省線宇都宮駅前に移転した。この時点で栃木県内の多数の同業者を買収することによって構築された営業基盤は路線数30弱、車両数100両弱に達しており、栃木県下第一のバス事業者となっていた。
第二次世界大戦下では国策による事業統合が開始され、当社は東武自動車との間で路線譲受を行ない、宇都宮市内路線は関東自動車一社による運行体制へと整理された。
終戦後の1949年、関東自動車は本社を桜通りに建築、その後1955年に宇都宮駅前に宇都宮営業所が入居可能な本社社屋を新築移転し、跡地に桜通営業所を新設した(1958年)。また宇都宮市域の拡大に伴い、1959年には宇都宮営業所の市内線機能を分離し戸祭出張所と一ノ沢出張所を新設、1964年には営業所機能を持たせ戸祭営業所とした。一ノ沢出張所は1965年に駒生に移転し駒生出張所に改称されたあと、1974年駒生営業所へと昇格し、同時に新設された江曽島営業所とともに市内線3営業所体制となった。
1965年度時点での保有車両は500台余、利用者数は7000万人/年を数えた。この数字は、単純平均でも一日一台あたり利用者数が400人弱もあったことを意味している。その後はモータリゼーションによる利用者減少にシフトし、利用者数の少ない郡部路線を中心に路線廃止が行なわれた(羽生田線や川治線、鬼怒川線など)反面、帝京大学宇都宮キャンパス新設や宇都宮市郊外の住宅団地整備にともなう新路線開設および増便なども行なわれてきた。近年では高速バスへの路線進出や宇都宮市郊外にある高等学校へのスクールバス運行、宇都宮市街地の100円ワンコインバス制の導入(その後廃止)などを展開し、1993年には北関東では初となるプリペイドカード式乗車券を導入している〔。
2012年(平成24年)4月20日経営共創基盤の完全子会社であるみちのりホールディングスが関東自動車の全株式をJ-COACHから取得したと発表。これにより、当社はみちのりホールディングスの100%グループ会社となった〔(経営共創基盤 2012年4月20日)〕〔(関東自動車 2012年4月20日)〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「関東自動車 (栃木県)」の詳細全文を読む




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